Aug 16, 2015

戦争時代を生き抜いた祖父と祖母。

戦争時代を生き抜いた祖父と祖母。

関あさこです。

もう日付変わっとりますが、15日は終戦日だったので、書いておきたいと思います。

祖父と祖母は、大正生まれなので、もちろん、第二次世界大戦を経験しています。

祖父は、戦略室で戦略を練る仕事を戦時中は行っていたそうです。

「俺は体力もないし、出来がわるかったから、屋内業務だったのだ」

と生前は言っていましたが、

戦後、アサヒ○ール社などのメーカーに複数務めた時も、アイデアが面白いと企画の仕事をしていたので、

戦時中の戦略室も、祖父の発想力の可能性に賭けて、その配置が行われたのかもしれません。

今となっては、わかりませんが。。
(祖父バカでいさせてください)

そんなわけで祖父は戦争の第一線にはいなかったのですが、

代わりに、祖母が、色々ときわどい思いをしていたそうです。

防空壕に逃げている途中にヘリコプターからの銃撃にあったり(幸い当たらなかったそうですが)

祖父方の曽祖父に、空襲による大火事を、燃え上がる屋根に上って消して来いと言われたりしたそうです。(そんなの祖母が死んでしまうと祖父の姉がとめたそうですが)

わたしは、ずいぶんと大人になるまでそういった詳しい話を知らずにいました。

代わりに、祖母には幼いころから「食べ物の大切さ」を叩き込まれました。

「昔はお米がひとつぶでも見つかったら、みんなで抱き合って喜んだんだから!」

「こういう雑草を、戦争のときは食べたのよ。」

「じゃがバターって…じゃがいもは戦後(食べ物がないとき)に嫌になるほど食べたから、もうおばあちゃんは、いらない」

などなど、ひとことひとこと、経験者の重みがありました。
※最後のちょっと違くない?

叱られるときの決まり文句も「戦争中だったら!」というのが必ずでした。

でも、やっぱりそれだけの説得力があった。

今はもう、戦争を経験した祖父も祖母も、天国に行ってしまいました。

だから、私は想像することしかできません。

できないのですが、毎年、この時期、想像してみます。

たとえば、自分の家の近所の、

床屋さんや、お魚屋さんや、電気屋さんや、八百屋さんのおじさんが、

隣の家のご主人や、向かいの家の長男の坊ちゃんが、

自分の父親や、きょうだいに、赤紙が届くのです。

そして、戦地に向かったのです。

そして、命懸けで戦ったのです。

もう一度、家族に会えるように。

たとえ会えなくなったとしても、この自分の働きが、自分の大切な家族を守るように。

それを思うと、想像しただけで、胸がドキドキして、それなのにすーっとお腹のあたりが冷えていくような、感覚に陥ります。

この絶望感が、戦争なのですよね。

政治的なことには触れませんが、

わたしは、やっぱり、靖国神社や、全国の神社、そして日本の土の下に眠る、
殉難したご英霊に、手を合わせずにはいられません。

この「飢えて死ぬことのない国、日本」の礎となってくださった魂たちに、感謝をささげることしか、できません。

今、この時代を見て、ご英霊たちは、
私たちに、「バトンを渡してよかった」と思ってくださるだろうか?

私にも、おじいちゃんや、おばあちゃんから渡してもらったバトンがあります。

「あさこに渡してよかったね」と思ってもらおうなんざ、だいぶおこがましいので、

「まあまあ、頑張っているじゃないか」と思ってもらえたら、上出来。

そのためには、もっともっと、エネルギー炊いていかないと!!

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